俳句と川柳、違いは紙一重!?
「俳句=川柳」だと勘違いしている人も少なくないようです。なぜ勘違いするのか。そもそも、なぜそれほどまでに似ているのか。今回は、「俳句」と「川柳」の違いについて考えてみたいと思います。
古い川柳と新しい川柳?
ひと口に「川柳」といっても、江戸時代のものを「古川柳」、明治時代以降のものを「川柳」と呼び分けていることをご存知でしょうか。 ぱっと見、どこがどう違うのかよくわかりませんが、下記の2つには素人目にもはっきりとわかる大きな特徴があります。さて、その違いとはいったい何でしょうか? 推理してみてください。
- (1)寝て居ても団扇のうごく親心古川柳
- (2)団扇からないよりましの風がくる大嶋濤明
ヒントです。 「団扇」は、パタパタあおぐうちわです。(1)は、江戸時代に大ヒットした選書『誹風柳多留(はいふうやなぎだる)』の初編に収録されている古川柳の名句です。扇風機もクーラーもない時代のものですが、幼子を思う親心は時代を超えて今なお変わらないものなのではないでしょうか。 (2)は、大正・昭和にかけて活躍した川柳人、大嶋濤明(おおしま・とうめい)による名句です。これも一読よくわかる句ですよね。真夏の通勤・通学、ビヤガーデン、花火などの野外会場、西日の射すトイレなど普遍の“あるある”です。 さて、違いはわかったでしょうか。 答えは、作者名のあるなしです。 ひざポン、ですか? なんかひっかけ問題のようで、すいません。
そもそも「古川柳」ってなんだ?
「川柳」は「俳句」と同じく、五七五七七の和歌(短歌)から五七五が独立した日本伝統の詩歌です。「古川柳」から「現代川柳」までの流れを、簡単にまとめてみます。
「古川柳」から「現代川柳」までの流れ(概略)
では、そもそもなぜ「古川柳」と呼ぶのでしょうか?答えは簡単です。当時はまだ名前がなかったから。正確には、「川柳」を含む様々な名前で呼ばれていたから。 余談ですが、名前がないといえば、夏目漱石の小説「吾輩は猫である」の書き出しが有名ですよね。 吾輩(わがはい)は猫である。名前はまだない。 読んだことはなくても、この書き出しは知っているのでは? 教科書にもあったけ? その吾輩猫が亡くなったときに、友人の高浜虚子がつくった俳句が残っています。
ワガハイノカイミヨウモナキススキカナ
漱石の飼い猫の訃報を知った虚子が返電したというものです。本気のものなのか、余技のものなのかはわかりませんが、漢字で書くと「吾輩の戒名もなき薄かな」でしょうか。見方によっては、この俳句にも川柳的なウイットがあるような、ないような、どうなんでしょう?
話を戻しましょう。 「古川柳」とは、現代川柳から見たときの「古典の川柳」という意味で使われます。先ほどの「寝て居ても団扇のうごく親心」や「子が出来て川の字なりに寝る夫婦」、「役人の子はにぎにぎをよく覚え」など、今もよく知られる名句がたくさん残っているのに、作者名がないなんておかしな話ですよね。 まぎらわしいのですが、「川柳」とは柄井川柳(からい・せんりゅう/1718~1790)という当時の人気点者(てんじゃ/判定者)からはじまった文芸でした。柄井川柳が元祖だから「川柳」。そして柄井川柳が選句したものだけが、古典の川柳と認められている関係から「古川柳」と呼び分けるようになりました。俳句に「芭蕉」と名付けるようなものでしょうか。伝統文芸に個人名が付いている、川柳以外にはないようです。
古川柳 ≒ サラリーマン川柳?
ある意味「古川柳」とは、現在の「サラリーマン川柳」のようなもの、その原点と言えるもの、なのではないでしょうか。 当時の江戸は、ロンドンやパリ以上の人口が集まる世界最大の都市でした。「古川柳」も、その都市生活者を中心に公募されたもの。奉公人より日雇いの多い社会だったといいますが、応募者のほとんどは今と変わらない働く人たちです。最盛期には1回の公募で1万句以上を集めました。
古川柳と川柳のいま。
「サラリーマン川柳」は、インターネットが日本で一般普及する約10年前の1987年にスタートした長寿コンテンツです。主催は第一生命。今では「シルバー川柳」や「介護川柳」など新たな公募川柳(主催企業はそれぞれ別)も登場し、その“ひざポン感”はネットでも話題です。
これらの過去の応募作をみると、初期段階から本名ではなく、いわゆるハンドルネーム(ニックネーム)が使用されています。俳句でいう俳号とは性質がまるで異なります。匿名性の高い方が振り切れる、ということなのかもしれませんね。
「古川柳」も同じです。発句集(当時の俳句集)との差別化を図るために工夫をこらした選書『誹風柳多留』が一大ブームとなり、今なお続く川柳の無名性が生まれたのだろうと想像します。もちろん作品は作者個人のものですが、選書としてのおもしろさは柄井川柳の選句眼によるものです。掲載のために添削・修正も加えていたというし、そもそも著作権などない時代ですからね。
ふたつの川柳革命?
柄井川柳が亡くなった後は選句の質が著しく低下したと言われています。そのため後世、「古川柳」ではないもの「狂句」という少々侮蔑的な呼び方で区別されるようになりました。狂句の狂は、「こっけい・おどけ」という意味です。 それから約100年後の明治末期、ふたつの「川柳革新運動」が起こりました。阪井久良岐(さかい・くらき)は詩的な川柳の確立を目指し、井上剣花坊(いのうえ・けんかぼう)は原点回帰を目指します。そこから紆余曲折を経て、現代の川柳へと行き着きます。 ちなみにこの2人、現代俳句確立の立役者・正岡子規(1867~1902)の後輩です。3人全員が一時期、陸羯南(くが・かつなん)の新聞「日本」の記者でした。子規は1895年(明治28年)に記者として日清戦争に従軍し、その帰途に喀血(かっけつ)。以後、病床より「俳句革新運動」を続けます。そして入れ替わるように、久良岐たちが1897年(明治30年)以降に入社。おもしろい偶然ですよね。必然かな? 明治末期からの「川柳革新運動」によって「川柳」という名称が定着し、文芸らしく作家性を取り戻すことに成功しました。冒頭の「作者名のあるなし」問題ですね。
しかーし!
この「作家性」の回復により、ますます俳句と川柳の境界があいまいになった、ともいえそうです。作家性とは個性であり、つまりは多様性なのですから。 先の図でも示した通り、現代川柳ではこれまでの「ユーモア」や「時事」だけでなく、もともとは俳句が得意としていた詩的な分野にも大正時代以降に進出を果たしました。川柳の新機軸といっても、すでにざっと100年の歴史があります。 俳句も日中戦争~第二次世界大戦突入までの暗たんたる空気に同調してか、昭和時代になって大いに多様化しました。そもそも詩人である俳人が、その作品に人間を詠み込まないわけがありません。社会情勢に対する不安や怒りから、花鳥諷詠よりも政治に、社会に、人の心に関心が強く向くのは当然の流れともいえます。 どうでもいい話なのですが、ぼくが昭和生まれだからなのか、どうにも「昭和時代」というワードが耳慣れません。どちらかというと「平成時代」の方が違和感ありません。いや、ぜんぜんないかも。言葉って不思議ですよね。 今も昔も、都市生活者にとっては「人」と「暮らし」が一番の関心事のようです。
違いを一覧にしてみよう!
「俳句」と「川柳」の代表的な特徴を比較してみましょう。
伝統的な俳句の特徴から見た、一般的にイメージされる川柳との違い
伝統的俳句の特徴 | 川柳の特徴 | |
---|---|---|
五七五の定型 | 〇 | |
発祥は江戸時代 | 〇 | |
季語が必須 | × | 使用は自由 |
切れがある | △ | 高度な技法とされている |
文語が主流 | × | |
旧かなが主流 | × | |
もの・こと・風景を詠む | × | 人間・社会を詠む |
こうしてみると明らかに別ものですが、実際は相当にあいまいです。 たとえば、どちらも口語調で切れがなく、どちらにも季語がある場合、もしくはない場合。その作品を見た目や内容で俳句か川柳かを判断することはほぼできません。 すでにお気づきかとは思いますが、冒頭二句の「団扇」は夏の季語です。あえて季語のある川柳を選びました。
- 寝て居ても団扇のうごく親心 古川柳
- 団扇からないよりましの風がくる 大嶋濤明
お手元に俳句歳時記をお持ちでしたら、ぜひ「団扇」の項を確認してみてください。なるほどこれはまるで見分けがつかないぞ、と納得されることと思います。
俳句と川柳の本当のところ。
ネット上には、良くも悪くも、口語俳句や無季俳句があふれています。とくにSNSは自由律との親和性が高いように感じます。飾らない「つぶやき」という点で近いものがあるのでしょうか。 現在、学校の教科書には、伝統的な俳句といっしょに無季俳句も自由律も載っているそうです。国民的アニメ「ちびまる子ちゃん」のおじいちゃんが詠む『友蔵心の俳句』はほぼ無季俳句、もしかしたら川柳ともいえそうです。 俳句も川柳もよく知らない人からすれば、あいまいどころか、その境界線はないに等しいもの、なのかもしれません。 でも本当にそれだけの理由でしょうか? 俳句と川柳の原点である俳諧連歌(はいかいれんが)、その祖といわれる宗鑑(そうかん)にも「団扇」を題材にした有名な句があります。ご存じでしょうか?
月にえをさしたらばよき団哉 (つきにえを さしたらばよき うちわかな)
昭和のギャグマンガにでも出てきそうな理屈抜きの童心は、俳句における「俳諧(こっけい味)」であり、川柳でいう「軽み」とも言えそうです。時代とともに多様化し、洗練され、大きく変化したように見えても、俳句と川柳の中にある大衆定型詩としての本質は変わっていない、というのが本当のところなのかもしれませんね。 とはいえ、俳句と川柳は別ものです。折角なので、俳句と川柳を簡単に見分けるコツを、最後にご紹介したいと思います。それはもう驚くほど簡単ですよ。 その見分け方とは‥‥
作者が俳句といえば、俳句!
作者が川柳といえば、川柳!
です! よくあるオチで、すいません。 俳句と川柳の違いはまさに紙一重です。俳句としての「何か」、そういうものが確かにあるとは思います。でもそれは、ある意味、俳句の高みとも言うべき「何か」でしょう。 もしもあなたが、趣味として「俳句」を楽しみたいと思うのであれば、正直そんなことは一切気にしない方が100倍楽しいかと思いますよ。 それでは! あなたの俳句ライフに幸あらんことを! 追伸、川柳もおもしろそうですね。 (こうのこうき/2018年12月20日 記)