2009年

3月31日(火)

やさしさを何処に埋めよ落椿

もしも、
こころの境界をはかることのできる
そんな機械があったとしたら、
すぐにでも購入しっちゃう気がします。
で、ものすごく後悔するのだと思います。

やさしさを いずこにうめよ おちつばき
季語=落椿

※輪廻って信じる? きょうもありがとうございます。


3月30日(月)

土筆摘むひとりになれてしまいけり

めったに「ありがとう」という言葉を口にしない人から
「ありがとう」が返ってくると、何だかうれしいものですよね。
でも、投げ売りのようでも、口癖のようでも、
「ありがとう」の数は方がいいです。

つくしつむ ひとりになれて しまいけり
季語=土筆

※言い過ぎても損をすることのない、まれな言葉かも?
※だからというわけでもないのですが、きょうもありがとうございます。


3月29日(日)

いつまでも残る醜美や落椿

ぶっちゃけ、
醜美(しょうび)という言葉があるのだと思っていました。
ないんですね、これが。
辞書的には、美醜(びしゅう)が正解。
何も言わなければ、
意図的にも見えるから、ほとんどの方がスルーするでしょう?
でも違うんです。
単に知らなかったんです。

いつまでも のこるしゅうびや おちつばき
季語=落椿

※学生のとき、同級生が何気なく口にした「嘘と勘違いは違う」という言葉、未だにふと思い出します。
※その状況も理由も忘れたけど。言葉って、不思議なものです。完璧って、なに?
※実は、この「醜美」という並び、以前にも使っています。あはは。
※だって語呂がいいんですもの。きょうもありがとうございます。


3月28日(土)

いつの日か雨と出合いて咲く花よ

忘れたいことを上手に忘れられる方法。
そんなものがあったらいいね。
でも、そんなものには頼らない方がいいと思うけどね。
なんとなく。

いつのひか あめとであいて さくはなよ
季語=花

※俳句で花といえば、桜のこと。
※そろそろお花見のシーズンですね〜。きょうもありがとうございます。


3月27日(金)

輝きを摘み残しては春の夢

正しいこと、と、間違ったこと。
基準はそれぞれなのかもしれない。
社会的に決められていることもある。
そうでなければ、混乱する。
でもそれを明確に区分しようとすればするほど、
こころが混乱する、のかしないのか?
言われてみればそんな気もするけれど・・・・
よくわかりません。

かがやきを つみのこしては はるのゆめ
季語=春の夢

※妄想だってか? きょうもありがとうございます。


3月26日(木)

残るもの残らぬものや春の雲

人とくらべることが、どれだけ無意味なことなのか、
頭では十分に分かっているつもりでも・・・・くらべてしまうものですわね。
そんなときは、なんとなく、苦しいものだよね。

のこるもの のこらぬものや はるのくも
季語=春の雲

※最近、肌寒いですよね。きょうもありがとうございます。


3月25日(水)

生きもののかなしさに堪え春の土

悩みの多くは
「感じたこと」の集積によるもの、
なのかもしれない。
一度でも疑念を抱けば、
人のこころは
そこから次の疑念を育ててしまうものらしい。
その連鎖は果てしない。
どんな人であったとしても、おそらく、例外はない。
たぶん、ないんじゃないかなぁ?

いきものの かなしさにたえ はるのつち
季語=春の土

※「感じたこと」と「事実」とは、別のもの。と、無理矢理にでも認めることが一番かもね。
※推理小説は大好きだけど、部屋から一歩も出ずに解決できる安楽椅子探偵ってのは現実にありえるのかね?
※俳句も同じ、かも。きょうもありがとうございます。



3月24日(火)

蒲公英や痛みに変えて生まれたる

カタチを身につけない限り、
カタチを崩しても様にならないそうです。
正当を熟知しないで、
「型破り」は成り立たないそうです。
そりゃそうです。

たんぽぽや いたみにかえて うまれたる
季語=蒲公英

※太陽のようで太陽でないタンポポ? ライオンのようでライオンでないタンポポ?
※と、思うけど? きょうもありがとうございます。


3月23日(月)

なにひとつ持たぬままなり土筆

ちょっと器用な人なら、
気に入った文章の骨子を上手に取り出すもの。
それが普通だし、それでいいと思うし、
工夫のしがいがあるし、ぼくだってそうだし。
でも、俳句だけはやめた方がいいみたい。
単純に、17文字しかないからかなぁ?

なにひとつ もたぬままなり つくづくし
季語=土筆

※つくし、つくづくし、つくしんぼ、筆の花
※ツクシだれの子、スギナの子。なぜか何度聞いても忘れてしまいます。
※杉菜は、とくさ科の多年草。土筆は杉菜の地下茎から伸びる胞子茎なのだそうです。
※成長して杉菜自体になるものではないそうです。なるほど。
※しかも栄養は地下茎から摂っているため、土筆には葉緑素がないとか。
※ちなみに、その地下茎の栄養茎のことを杉菜と呼ぶそうです。なら杉菜も本体ではない?
※骨子は「こっし」って読むんです。これまた、「こし」と耳で覚えてしまったので、キーをたたいても出ない出ない。
辞書を引いても出てない出てない。当たり前だけど。
※単純だけど複雑? きょうもありがとうございます。


3月22日(日)

朧月見上げるたびにぼろがでる

嫌われるようなことばかりをして、
いつもいつも振り向いて欲しいと願っている。
相手を試すようなことばかりをして、
いつもいつも好かれたいと願っている。
顕著な人もいるけれど、
どんな人にもそんな一面はあるみたい。
こころって、不思議です。

おぼろづき みあげるたびに ぼろがでる
季語=朧月

※うっかり更新するのを忘れるところでした。きょうもありがとうございます。


3月21日(土)

透き通ってひどく悲しい春紫苑

完結していないことが最大の特長のものって、
どんなものがあるのだろう?
俳句はそのひとつなのかしら?

すきとおって ひどくかなしい はるじおん
季語=春紫苑

※もともと栽培品種だったものが、よくあるありふれた雑草になった。それが春紫苑なのだそうです。
※ちょっぴり慌ただしです。きょうもありがとうございます。


3月20日(金)

春疾風こころをどこに捨てにしか

何をしたかより、何をしようとしたかが大切、なのだとか。
結果より過程という話ではなさそう。
よくわかんないけど。
そのときの、意志や決意を忘れなさんな、ということなのかな?

はるはやて こころをどこに すてにしか
季語=春疾風

※春の強風のことです。
※考え過ぎるとろくなことがない。でも考えることを拒絶してみても、どうなんだろう?
※どうせなら海の中の句を積極的に詠んでみるべきなのかもしれません。
とは、考えているのですが、これがまた、一読でそれとわかるものとなると・・・・なかなか・・・・。
※明日も海に。きょうもありがとうございます。


3月19日(木)

運命に降水確率さくらもち

考えることが非常にめんどうになることがあります。
そんなときは、みんなどうしているんだろう?

うんめいに こうすいかくりつ さくらもち
季語=桜餅

なんてね。

※桜餅に使用する葉は、塩漬けにして保存しているのだとか。
※明日から連休ですね。きょうもありがとうございます。


3月18日(水)

彼岸桜それでもいいと泣き濡れて

前にも書いたっけ?
句会などによく出ていたとき、
ある年配の女性がおもしろいことを言っていたんだよね。
「男性陣がおもしろがってからかうから、恋の句が詠めない」
とかなんとか、そんなこと。
おもしろいでしょう?
で、その続きが、
「なんで今のことだと思うんだろう? そんな分けないじゃない、ねぇ?」
おもしろいでしょう?

ひがんざくら それでもいいと なきぬれて
季語=彼岸桜

※桜で一番早く咲きます。花は小さく、一重咲きの淡い紅色。八重の品種もあるみたい。
※エドヒガンとフジヒガンの雑種といわれています。
※エドヒガンの別名は姥彼岸。葉の出る前に花を付けるので、歯が無いにかけて姥なのだとか。
※あたくし、子どものころ、「大人になったら偉くなって姥捨て山をつくる!」とか、ほざいていたそうです。
あら、はずかしい。政治になんか興味もないけど・・・・。いい大人が、それもはずかしいか?
※恋の句と思うから恋の句なのであったて、そうでない人にとってはそうでない。
※疑心暗鬼というのも同じかも。疑いの目でみれば、すべては別の何かにみえるもの。
※俳句では単に彼岸といえば、春彼岸のこと。秋は秋彼岸、もしくは後の彼岸。
※彼岸の説明は、何度聞いても、わかるようでわからないです。亡くなった人の墓を参る日だけじゃだめなのかしら?
※昔から墓参りにかこつけて、行楽を楽しむことも多いのだとか。いい季節だからね。
※きのうの17日が彼岸入り、23日が彼岸明けです。
※ってことで、きょうもありがとうございます。


3月17日(火)

さようなら変わりなく水温む

思い出を思い出す、日本語へんか?、
きっかけは人それぞれ違うのかしら?
違うだろうな?
でも、同じ体験をしているのだとしたら、
同じきっかけで思い出すものなのかもしれない。
だとしたら、すてきだね。

さようなら かわりなく みずぬるむ
季語=水温む

ほんとに春らしくなりましたね。

※卒業式シーズンだね〜。きょうもありがとうございます。


3月16日(月)

春潮や消し去ることをのみ願い

きのう、伊豆の海に潜ったら、
プランクトンやら溶け出した冬の海草やらで、
すんごく濁っておりました。
深さによっては1メール先も見えないくらい。
それを「春にごり」というそうです。
ちょっといい響きでしょう?

しゅんちょうや けしさることを のみねがい
季語=春潮

※春潮は、春の海水のことです。陸上からの海の色は、冬の暗さから春の明るく澄んだ美しさに変わります。
※淡い藍色。春になると潮の満ち引きも大きくなるそうです。
※「春にごり」という言葉は、季語集にも、辞書にも載っていませんよ。たぶん。
※海の季節は陸上の2ヶ月遅れでやってくるそうです。受け売りなので、間違っていたらごめんなさい。
※ぎゃくてん、はんてん、ちょうねんてん。きょうもありがとうございます。


3月15日(日)

かげろうのわずかに触れた深呼吸

自分より才能のあるもの、地位の高いもの、
自分の思い通りにならないものに、
激しい妬みや憎しみをいだく人がいます。
その心情がわからないわけではないけれど、理解しがたい。
妬みや憎しみは、
どんなにじょうずにかくしても、
不思議と目にあらわれる、そんな気がしてなりません。

かげろうの わずかにふれた しんこきゅう
季語=陽炎

※妬みと憎しみは諸刃の剣。そんな感情は、一刻も早く捨てるべきだと思うけど・・・・。
※胡散臭い? おや、きょうもありがとうございます。


3月14日(土)

反感も危うさも持ち東風の吹く

ごかい、ろっかい、せんかい。
千回分も書けば、誤解されなくなるのかな?
石の上にも三年とは、よく言ったもの。
すごいな、昔の人って、おもしろいですね、人間って。

はんかんも あやうさももち こちのふく
季語=東風

※東風とは、春、東から吹くやわらかい風のこと。
※雨をともなくことも多いらしく、春らしい風というよりやや寒い風といった感じ。
※一般的にはよろこばしい春の風ですが、海を生業とする人たちには時化となる風なのだとか。
※「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春を忘るな」
※上記は『拾遺集』にある菅原道真の歌なのだそうです。
※きょうもありがとうございます。よい休日を。


3月13日(金)

春雨や欺瞞と不満と瞬間と

言われてみれば・・・・
わかるようなわからないような・・・・
ゲーテの言葉に、
「感覚は欺かない。判断が欺くのだ。」
というものがあるそうです。
考えすぎると、
いつの間にか感覚と判断がすり替わっていたりしてね。
すごい偉人でも、
自分の感覚だけを信じることはむずかしいことだったのかも?
わからんけど。

はるさめや ぎまんとふまんと しゅんかんと
季語=春雨

※欺瞞という言葉、ごくまれに会話のなかで耳にすることがありません? なんだか、そうゆうときの使われ方って、微妙に、辞書的な意味と違うような気もします。
※「ごまかす」と「あざむく」は、同じですか? 日本語って、微妙で面白いね。
※ときどき「広辞苑」と「大辞林」の違いを、とうとうと語る人がいるけど、どれほど使い込んで気付いたことなのかな?
※ぼくには、全然、さっぱり、その違いがわかりません。自分を高めるために、他者を批判する癖のある人っていますよね。どこの世界にも。むしろ逆効果だと思うんだけどね。そんな時期もあったけど、いまはとっても不思議です。
※中途半端が一番はずかしいことなのかも。こんな感じで十年続けてみようかな? できるかな? 十年後でも俳句の世界では、年齢的にはまだまだ若造だから・・・・あまり考えないようにしてるんだけど。
※それはそうと、きょうもありがとうございます。


3月12日(木)

駒鳥は嘘を付けずに困ります

先生曰く、
こころに重石のようなものがあるときに、いい句ができるそうです。
いい句とは、まぁ、人それぞれなので、
むずかしい講釈はいいとして、
何かこころに引っかかる魅力を持った句とでもいいましょうか?
むしろ、むずかしいですか?
かもしれない。

こまどりは うそをつけずに こまります
季語=駒鳥

※などと書き出したら、自分自身、なんだか収拾がつかなくなりました。あはは、ごめんなさい。
※コマドリは季語集によって、季が違うようです。最も有力な季語集では「春」、でも多くは「夏」なんですよね。ちょっと意外だったので。
※「誰がコマドリ殺したの?」有名なマザーグースのうたがありますね。あらためて読んで見るとおもしろいかも。
※えぇ、まぁね。きょうもありがとうございます。


3月11日(水)

不遇のまま外套を脱ぎ歩みたる

何度か書きましたが、
たぶんこれからも何度も書くと思いますが、
本当にこの調子でいいのかなぁ?、と考えることがあります。
なら、変えればいいじゃん、と思うでしょう?
ぼくも、他人事なら、そう思います。
読み手からしたら、やっぱり読んでて楽しい方がいい。
あははと笑うような楽しさでなくとも癒されるとか、
元気づけられるとか、ためになるとか、その方がいいと思うんだよね、やっぱり。
でも、変えちゃダメという気持ちがどこかに強くあるんですよね。
どういうわけか? 何なんでしょうかね?

ふぐうのまま がいとうをぬぎ あゆみたる
季語=外套を脱ぐ

※1日でも経過すると、自分自身、良いのか悪いのか、他人事のように読めるんですけどね。
※当たり障りのないようなことを書いているようで、アップする寸前まで、これでいいのか?、って悩みます。
※だいぶ暖かくなりましたが、日がかげるとやはりまだ肌寒い感じですね。
※いまどき外套などとは言いませんね。オーバー、コート、えとせとら。
※ケセ・ラ・セラ? きょうもありがとうございます。


3月10日(火)

花ミモザわたしのなかの一歩二歩

「性格」と「気質」は、違います。
よくはわかりませんが、言葉も違うのだから違うみたい。
性格を辞書で引くと
「先天的な気質と後天的な影響とによる・・・・」とあります。
つまり、なんとかしようと思えばなんとかできる要素が多い、
ってことでしょう?

はなみもざ わたしのなかの いつぽにほ
季語=ミモザの花

きょうもありがとうございます。


3月9日(月)

茎立や己の影がまた伸びる

急に映画が観たくなって、夜中にDVDを借りてきて、さすがに1時間くらいと思ったけれど、おもしろいからついついラストまで観てしまって、寝ようかなぁと思ったら、何故か眠れずに、結局、一睡もせずに会社に行ったけれど、そのまま1日、頭に靄がかかったような状態で、だからかなんだか、どうしてもおもしろい本が読みたくなって、本屋によって、迷ったあげく買った本が、これまた止まらない始末で、ばっかみたい、と、我ながら思いながら、これを書き始めたら今度もついつい楽しくなっちゃって、ほんの数行書くのに、かれこれ1時間以上経ったのかな?

くくたちや おのれのかげが またのびる
季語=茎立

※大根や蕪、菜の類がつぼみをつけるために花茎を伸ばしはじめます。
※街中だとあれだね、家庭菜園用の葉牡丹が茎立しはじめていますね。
※切れ目なく書くって、むずかしいのね! ってゆうか中途半端に真似できね〜。
※眠いので、これにて、またあした。きょうもありがとうございます。


3月8日(日)

北窓開くそして言葉に詰まる

現在形と過去形、
習慣なのか、無意識なのか、それとも意図的なのか、
どうやって使い分けているのかなぁ?、と、ふと思うことがあります。
例えば、「ありがとうございます」と「ありがとうございました」とかね。
そんなことを考えること自体、へんのなのかしら。
かもね〜。

きたまどひらく そしてことばにつまる
季語=北窓開く

※あるときから「ありがとうございます」と言うようにしたんだと思うんですよね。いつのことだったかは忘れたけど・・・・。
最近、それが自分自身で不思議でしょうがないんです。なんでだろう?
※どうでもいいことなんだろうね。きょうもありがとうございます。


3月7日(土)

まんまるの月夜の外に春すべる

最近、使用している季語の数が少ないのよね〜、
我ながら。
春のなんとかみたいなのばっかり。
たぶん、忙しさにかまけて、
ついつい「歩く」ことが少なくなっているからかも。
まぁ、それだけの理由ではないけれどね。
「歩く」って、いろんな意味でいいと思う。

まんまるの つきよのそとに はるすべる
季語=春

※次の満月は11日みたい。きょうもありがとうございます。


3月6日(金)

蕗の薹いのちの数を教えたる

人の気質など、そうそう変えることのできないもの。
たぶん、本質的なものはかなりむずかしい。
変えることのできないものを
無理矢理に矯正して変な方向に行くよりも、
変えなくてもよい方向を見つける方が正しいのかもね。
生き方として。かもね。

ふきのとう いのちのかずを おしえたる
季語=蕗の薹

※簡単に言わないで。きょうもありがとうございます。


3月5日(木)

一度でも二度でも同じ春の雷

人が怒るのは、自尊心を傷つけられたから?
わがままだから?
単に機嫌が悪かったから?
体調不良?
人のこころの中など、ほんとうにわかりませんね。
ただ、確かに関心がなければ、怒ることはないかもね。
でもないか? ほんと、わかりません。

いちどでも にどでもおなじ はるのらい
季語=春の雷

※きょうは啓蟄です。はじめて鳴る春の雷はこのころが多いそうで、それを初雷とか虫出しの雷というそうです。
※啓蟄とは、暖かくなって、地中の虫がその穴から出てくること。
※いい天気でしたね〜。早起きが3日と続かないけど・・・・きょうもありがとうございました。


3月4日(水)

有り様を気に病むばかり忘れ雪

器用な人は、器用ゆえに安心して怠ける。
器用な人は、器用なだけに面倒なことを器用に避ける。
だから、いつだって中途半端。
つまりは、これを器用貧乏というそうなぁ。
不器用な人は、不器用ゆえに求めているものを求められない。
不器用な人は、不器用なだけに不器用に面倒を背負い込む。
だから、いつだって中途半端。
そしてこれを・・・・何と言うんだ?

ありようを きにやむばかり わすれゆき
季語=忘れ雪

※「忘れ雪」は、「雪の果」の傍題。春の、雪の降りじまいのこと。
※昨日も雪でしたね。東京の雪はこれでおしまいですかね?
※旧暦の安政七年三月三日は、季節はずれの大雪だったそうです。桜田門外の変が起こった日。新暦に直すと三月の末。記録的な晩雪に、時の人の惨殺、江戸っ子はびっくりたまげたろうね。
※何が言いたいわけでもないの。きょうも、さむいね、ありがとうございます。


3月3日(火)

虚と実を言うだけの舌春も風邪

仮想が現実になるのなら、現実も仮想になるの?
当たり前ですか? そうですか?
そうかもね。いや、ちがうかも。
まだまだ寒いから早起きは大変だ。

きょとじつを いうだけのした はるもかぜ
季語=春の風邪

※風邪が流行っているみたいです。気を付けてくださいね。
※3月3日はひな祭り。きょうもありがとうございます。


3月2日(月)

凍解や二つの足で地を蹴りて

ときどきイラストが描けたらいいなぁ〜と思うことがあります。
ときどき挑戦してみても長くは続きません。
続けられるか、続けられないか。
才能のあるなしなんて、たぶん二の次だ、たぶんだけど。
「続かない」は「続けたくない」の同義なのかもしれませんね〜。

いてどけや ふたつのあしで ちをけりて
季語=凍解

※いまの自分を許せるなら、過去にこだわりはしないそうです。過去を巻き戻したいのなら、今できることに集中すべき、ということなのかしら?
※と、思いたいだけ? きょうもありがとうございます。


3月1日(日)

明るさの春の海より濁りゆく

きのう、海でアメフラシをたくさん見ました。
アメフラシというのは、でっかいナメクジみたいな奴で、
春になるとどこからともなく現れます。
貝の仲間なのだそうです。
そんななか、寒い冬の海でしか見られない迷いアンコウもいました。
だから、なんだと言われれば、それだけの話なのですが・・・・。
3月ですね。いつもありがとうございます。

あかるさの はるのうみより にごりゆく
季語=春の海

※昨年、一生に一度見ることが叶うかどうかという海洋生物をたて続けに見ましてね、ひとつはそれほどでもないらしいけど、で、三度目のなんとかということで年末ジャンボを買ってみたんです。先ほど、それをふと思い出して当選番号を・・・・ま、当たるわけがないんですけどね。
※深海魚であるアンコウを見られる確率も滅多にないようです。ついているのかしら?

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