俳句雑誌の創刊号の巻頭句とは、その雑誌の志す理想的な俳句作品です。もしくは、それにもっとも近いものでしょう。


明治時代

ホトトギス(発刊:明治41年10月/選者:高浜虚子)
明治30年1月創刊。正岡子規の没後、高浜虚子が客観写生・花鳥諷詠を提唱し、近代俳句の礎を築いた歴史的な俳句雑誌です。ホトトギスの雑詠欄は明治41年10月号より登場します。これはその記念すべき巻頭句第一号です。
層雲(発刊:明治44年7月/選者:荻原井泉水)
自由律俳句の先駆けとなった雑誌です。大正、昭和初期、その代表格とも言える尾崎放哉、種田山頭火らを排出しました。

大正時代

雲母(発刊:大正6年12月/選者:飯田蛇笏)
雲母(うんも)は、大正・昭和の俳壇をけん引した大結社のひとつです。伝統派として重厚で格調高い作風を重んじました。飯田蛇笏(だこつ)・龍太親子2代にわたり運営されてきましたが、平成4年(1992年)に惜しまれつつも900号をもって廃刊に。

昭和時代

馬酔木(発刊:昭和3年7月/選者:水原秋櫻子)
写実派のホトトギスと袂を分かち、昭和3年、水原秋櫻子(しゅうおうし)が主宰となり俳句雑誌「馬酔木(あしび)」をスタートします。客観ではなく主観的視点を大切にし、情感豊かな俳句の創作を目指しました。秋櫻子が主宰となって初めて選出した巻頭句を収録。
かつらぎ(発刊:昭和4年1月/選者:阿波野青畝)
かつらぎ主宰・阿波野青畝は創刊のあいさつ文に、「見よ、今日の俳誌の多くが陥ってゐるところの興味本位の不真面目さを。」と、かなり挑戦的な文句を綴っています。大正末期に起こったプロレタリア文学運動という潮流が俳句にまで押し寄せて来た時代です。
玉藻(発刊:昭年5年6月/選者:星野立子)
「玉藻」は、高浜虚子の次女・星野立子が創刊した女流主宰第一号の俳誌として有名です。昭和59年(1984年)より、その一人娘である星野椿氏が継承しています。
花衣(発刊:昭和7年3月/選者:杉田久女)
女流俳人の発展を願い杉田久女が立ち上げた俳誌です。創刊の辞には「久女よ。自らの足もとをただ一心に耕せ。茨の道を歩め。貧しくとも魂に宝玉をちりばめよ」と、己を鼓舞する言葉がありました。このときが表現者としてのピークだったのかもしれません。
寒雷(発刊:昭年15年10月/選者:加藤楸邨)
創刊主宰は、人間探求派と呼ばれた加藤楸邨。彼の登場により現代俳句が文学に押し上げられたといわれています。
風花(発刊:昭和22年5月/選者:中村汀女)
終戦間もない女性の地位のいまだ低かった時代、杉田久女の薫陶を受けた中村汀女が、女性のための俳句雑誌として「風花」を立ち上げました。汀女47歳の創刊号です。
芹(発刊:昭和32年5月/選者:高野素十)
いぶし銀のごとき高野素十(そじゅう)が自分のために立ち上げた俳句雑誌。創刊の挨拶文には「之はどこからも、束縛を受けない、全く私一個人の俳句雑誌であります。」と書かれています。俳誌「芹(せり)」は選者一代限りの俳誌として約20年間続きました。

巻頭句って、なんですか? 俳句雑誌(同人誌)には、雑詠欄と呼ばれる会員作品を発表する場があります。

なぜ「創刊号の巻頭句」なのか?

※俳誌によっては、創刊から数巻おいて雑詠欄をはじめるケースがあります。
雑詠欄を取り仕切るというのは、今も昔も、簡単なことではないようです。