2007年

10月31日(水)

後悔と逆上がりして七かまど

自分を許せない人は、他人をも許せないそうです。
言ってる、ぼく自身も、ほんとはよく分かっていません。
ただ、笑えないこと、聞き流せないこと、許せないこと、根に持つことの
接点って何なのだろうなぁ、と、ときどき考えることがあります。
ときどき考えていると、
いいフレーズがふわりと浮かんできたりなんかしたりしています。

こうかいと さかあがりして ななかまど
季語=七かまど

いつも、ありがとうございます!!!!

※ナナカマドの名前の由来は、そのまんま、「七回かまどに入れても燃えない」ということらしいです。
でも、本当はよく渇かせばよく燃えるそうです。あたりまえ?
薪炭としても重宝され、彫刻などの細工物にも好材なのだとか。


10月30日(火)

しんらつな眠気のうちに冬支度

たとえば、他者の痛みとか、喜びとか、怒りとか、
夢もそうかもしれない、
人は経験した以上のことは、なかなか理解できないもの。
でも、もしかしたら明日、あさって、10年後、
突然、あぁ〜と何かの拍子に
心の中の水脈のようなものが繋がることもあるのかもしれないのさ。

しんらつな ねむけのうちに ふゆじたく
季語=冬支度

深く繋がっているもの、そうでもないもの、いろいろあるけど、ありがとう。



10月29日(月)

幸福もたためば小粒まてば椎

俳句の表現を減点法のように採点する人もいます。
どんなに勉強家であっても、
すべての詩性を見極めることは難しいのだから、
それも仕方ないなぁ、と、頭では十分に理解できます。
でも、単なるパワーゲームのようなものは、あんまり好みじゃないの。

こうふくも たためばこつぶ まてばしい
季語=まてば椎

※まてば椎はドングリで最も大きい種類の果実です。長さは大体2〜2.5センチくらい。
煮るか炒るかすれば食べられるそうですよ。かなり素朴な味らしいです。
子どもの頃、好奇心から1個だけ生で食べた思い出があるけれど、たしか・・・マズかった・・・。


10月28日(日)

憤怒とは腹から沸きて石榴の実

平成の世ではとても信じられませんが、
戦時中、俳句も凄まじい統制下に置かれたそうです。
投獄される俳人も多かったとか。大変な時代です。
でも逆に考えれば、
俳句にも感情を激しく揺さぶる力がある、ということなのでしょうか。
ちょっと、うれしい発見です。

ふんぬとは はらからわきて ざくろのみ
季語=石榴

※ザクロには、人の子を食らっていた鬼子母神がお釈迦様に諭されて、その肉の代わりに食べたという伝説があります。イメージ的に、ちょっと気の毒な果実です。原産はペルシャ地方。中国経由で渡来した果実らしいのですが、
その中国では結婚式や十五夜に添えるほどの愛でたい果実なんですって。文化の違いっておもしろいですね。



10月27日(土)

玄関に苦言が二つ暮の秋

ときどき、捨てゼリフなんぞを吐いた苦い苦い記憶が、
何かの拍子に頭の隅から這い出してくることがあります。
ただ不思議なのが、その言葉でも相手の表情でもなく、
目に浮かぶのは自分自身の後ろ姿。
見えるはずもない後ろ姿をね、俯瞰で見ているんです。
も〜、それはそれは、かっこわるいです。

げんかんに くげんがふたつ くれのあき
季語=暮の秋

※「暮の秋」とは、秋の終わりのことです。歳時記では11月から12月・1月が冬となります。
ちなみに「秋の暮」は、秋の夕暮れのこと。知らないと混同してしまいますよね(?)


10月26日(金)

常温の記憶のたどる熟柿かな

息子「母ちゃん、なんでいつも弁当箱に梅干し1個なんだよ!」
母 「バカだね、いつもちゃんと位置を変えているじゃないか!!」
「欽ちゃんの人生コントだよ!!」萩本欽一(実業之日本社)より

じょうおんの きおくのたどる じゅくしかな
季語=熟柿

※ユーモアとウィットとは決定的に違うそうです。俳句と川柳くらい。
上は、萩本欽一さんが大切にしているユーモアの基本なのだそうです。


10月25日(木)

あらそいをいつも嫌いていのこづち

ものすごく疲れている帰宅時の自動改札。
定期や切符のかわりに、
家の鍵を手に握っていることってないですか?
少数派だとは思うんだけど、いると思うんだよなぁ〜。

あらそいを いつもきらいて いのこづち
季語=いのこづち

※草むらを歩くと、小さな楕円形の実が衣服などに、いっぱいくっついてくるアレです。
「いのこづち」です。古名は「ふしだか」「こまのひざ」。それによって種子が運ばれて繁殖しているのね。
植物の知恵ってすごくない?


10月24日(水)

悲しみは左回りや鬼ぐるみ

鬼ババアって言葉は、
テレビやマンガでもよく使われているし、
子どもの頃には年がら年中、口にしていたような気もするし、
いわゆる愛情の裏返しでしょ。
でも、鬼ジジイとは言わないよね?

かなしみは ひだりまわりや おにぐるみ
季語=鬼胡桃

※胡桃は石器時代から食べられていたそうです。日本原産の野生種が鬼胡桃で、その殻はめちゃめちゃ堅い。
一般的に市場に出回っている胡桃は、核の小さい姫胡桃や栽培種なのだとか。


10月23日(火)

後の月こしあん好きの狂女かな

おばあちゃんたちの笑顔がいっぱいの「いろどり」って、知ってますか?
先月、講演会に行った。本気の人は、まじですごい、と思った。
年齢も学歴も社会的地位も、本気の人には、何にも関係ない。
涙が出たよ。ちょっとだけど。

のちのつき こしあんずきの きょうじょかな
季語=後の月(十三夜)

「そうだ、葉っぱを売ろう! 過疎の町、どん底からの再生」横石 知二 著

「いろどり おばあちゃんたちの葉っぱビジネス」立木 さとみ 著

※今日が陰暦9月13日、後の月です。別名がいっぱいです。
二夜の月、十三夜、豆名月、栗名月、名残の月、女名月、姥月。
仲秋の名月以降に、少し欠けた晩秋の月を楽しむのが後の月なんだって。
満月じゃないんだよ。こういうのを粋ってのかな?



10月22日(月)

鬼の子は無色透明になりたし

清少納言の「枕草子」に、ミノムシが「鬼の子」として登場します。
「蓑虫、いとあはれなり。鬼の生みたりければ、親に似てこれも恐ろしき心あらんと」
そして、鬼に捨てられた蓑虫が
「ちちよ、ちちよ」と鳴いていると続きます。

おにのこは むしょくとうめい になりたし
季語=鬼の子(蓑虫)

※鬼の子なのだから、こいつもきっと恐ろしい心を持っているに違いないと、
ミノムシをみている鬼のその身勝手な目線が笑えます。
今も昔も変わらないんだね。なんとも了見の狭いこと。ちっちゃ。


10月21日(日)

たましいもほどほどにふけ秋の暮

いくつになろうと、どんな立場であろうと、
お前にだけは言われたくないってことが、一つや二つあるのだろうなぁ。
嫌味を言われれば誰だってへこむし、
批判されれば傷つくし、罵倒されれば痛いもんね。
我慢しているだけだよね。
それぐらい理解しないとね。
何言ってるんだろうね。

たましいも ほどほどにふけ あきのくれ
季語=秋の暮


10月20日(土)

雑念をしばらく晒す吊し柿

頭の中で繰り返される歌は(ときどきあるでしょ?)、
そのときどきに心の中で求めていることなのだそうですよ。
学術的に正しいかどうかは知りませんが。
ちなみに、いま、ぼくの頭の中でしつこいくらいにリピートされているのは、
飾り気のないストレートな歌詞ばかり。
裏を返せば…、言わぬが花ってことですかね?

ざつねんを しばらくさらす つるしがき
季語=吊し柿

連弾って聴いたことあります? ブギ・ピアノは?
じゃあ、「レ・フレール」は?
聴くだけで、なんだか楽しい気分になってきますよ。


※「レ・フレール」はブギ・ピアノの連弾を行う超絶技巧の兄弟デュオです。
ピアノだけなのに、それこそ、老若男女問わず楽しめるのじゃないだろうかね?



10月19日(金)

身勝手な思い出ばかり濃竜胆

一番むずかしいことは、
「自分自身を許す」ことなんですって。
話題の映画「スパイダーマン3」に、そんなセリフがありました。
ついでに、
あまり話題にはなっていないようですが、
日本映画の「長州ファイブ」というは、かなり面白かったですよ。

みがってな おもいでばかり こりんどう
季語=竜胆

どちらもレンタルが開始されていますので、機会があったら観てみてね。

※竜胆は、日が当たると開き、夕方や曇天では閉じるという、ちょっと気むずかしい花です。


10月18日(木)

薄っぺらな日々のがらくた茜掘る

うまく説明できないけど、なんとなく心に響く、
そんな感覚が好きです。
理由はないけれど好き(嫌い)という
自分自身の感覚は、無視しちゃいけないものなのかしれません。
とはいえ、他人に押しつけていいものでもありません。

うすっぺらな ひびのがらくた あかねほる
季語=茜掘る

※茜の根は、古くから草木染めに利用する原料です。
アルカリが強ければ濃い赤に染まり、弱ければ黄みが増すそうです。



10月17日(水)

最後まで泣き笑いせし草の花

ゲーテの言葉に、こんなのがあります。
「正直であることを私は約束できる。しかし不偏不党であることは約束できない。」
変わらないものは、生きていないものだけなんです。

さいごまで なきわらいせし くさのはな
季語=草の花

ついでに、もうひとつ印象的な格言を。
「古典的なものは健康であり、ロマン的なものは病的である。」
たぶん、〜的っていうのがミソなんじゃない?
ゲーテ格言集 高橋健二編訳(新潮社文庫)より


10月16日(火)

茸焼く噂はいつか巡り来る

議論に勝つ唯一の方法は、議論をしないこと、なのだそうです。
ぐうの音もでないほどやり込めても残るのはわだかまりだけ。
どんな理由があろうとも
逃げ道がなくなるほど相手を追い込んじゃったら、
めぐりめぐって・・・
やっぱり良い結果はもたらさないのでしょうね。

きのこやく うわさはいつか めぐりくる
季語=茸

最近話題の「犯人に告ぐ」、おもしろいですよ〜。
とにかく読み出したら止まらないって感じで、すごいかも。


10月15日(月)

椋鳥や言葉遊びも尽きる頃

普段から他人の句の細かいところを厳しく指摘する人が、
自分の句の大きなところを指摘されると、
「俳句は読み手のものです!」
と開き直る姿は
見ていてあまり気持ちの良いものではありません。
問題の質が違うと言われれば、
確かにその通りなのかもしれませんが・・・。

むくどりや ことばあそびも つきるころ
季語=椋鳥

会社の会議などでも、よくある風景でしょ?

※俳句のように短い詩形の解釈は、本来、すべて読み手に委ねられます。
どのように解釈しようが読み手の自由。十人十色、正解などありません。



10月14日(日)

幸不幸染み出る色や初紅葉

大切なことは、正しいとか間違っているとかじゃなくて、
無理をしているかしていないか、なのだと思います。
無理は、どんなに頑張ったって、長続きするものではないですもんね。
ひとそれぞれ得手不得手というもあるのだし。
気楽が一番なのかもしれません。

こうふこう しみでるいろや はつもみじ
季語=初紅葉


10月13日(土)

木の実落つ私はせめて丸くなる

図書館でパラパラと手当たり次第に本を読み漁っていたら、
「人格を否定することは、人殺しにも等しい」といった意味の、
ええ〜!というような強烈な言葉に出合いました。
ただ、そのときはじめて
「ああ、なるほど」と、シンプルに、
いろいろなことが腑に落ちたような気がしたんです。

このみおつ わたしはせめて まるくなる
季語=木の実

丸くなりたいと思うくらいだから、いまだ大して丸くはないんですよ〜。


10月12日(金)

なんとなく疎ましくなり羊雲

いちいちネガティブな人が、
本質的に尊敬されることはないようです。
だから人前では、
あんまりネガティブな発言はしない方が無難かもしれませんね。
いつまでも、いくつになっても
ネガティブなことばかり言っている方に、
こころある若者は誰も近づかないような気がします。
そんなものなのではないでしょうか?

なんとなく うとましくなり ひつじぐも
季語=羊雲


10月11日(木)

金の目のうそぶく守宮秋の雨

先日、体全体が白っぽい肌色をしたトカゲみたな生き物が
玄関のドアに張り付いていました。
じーっと観察すると目が金色でした。
そいつに「ヤモリだよね?」と思わず訊ねると・・・。
とうぜん、知らん顔をされました。

きんのめの うそぶくやもり あきのあめ
季語=秋の雨

ちょっと調べたら「ニホンヤモリ」というそうです。
ヤモリは緑なのだとばかり思ってました〜。


10月10日(水)

為るようにしか成らず蔓梅擬

執着すればするほど見失って、
なくせばなくすほどそれに近づくものって?
俳句に限らず、ほどほどの実力で自分のスタイルにこだわり、
模索し続けることは長い時間を無駄にするそうです。

なるようにしかならず つるうめもどき
季語=蔓梅擬

『自分』探しは、ないものねだり、のようなものなんですね、たぶん。


10月9日(火)

無花果や手のひらにある化けの皮

毒を含んだものは、どうぞ短命であってくれ!
と願いつつ、ときどき自分自身に跳ね返ってくるのね。
そんなときはつらいのね。そんなときに思うのね。
みんな、みんな、ほめあって生きて行けたらいいのにね。

いちじくや てのひらにある ばけのかわ
季語=無花果

※無花果は、一見、花がないように思われがちですが、その実の内側に多数の小さな花を付けるそうです。
でも本当は、食用している実は花嚢(かのう)が熟したもので、これを偽果とか装飾果といい・・・。
説明が長くなるので以下省略。


10月8日(月)

ちちははの罵り合いて曼珠沙華

誰だって、ほめてくれる人が好きだけど、
ほめて欲しいだけの人は嫌煙したいもの。
普通に考えて、
ほめない人をほめる人はいないでしょ。
「ほめて良いことなどない」という厳しい意見を言う人もいるけど、
ほんとのところ、どうなんでしょうね?

ちちははの ののしりあいて まんじゅしゃげ
季語=曼珠沙華

いつの時代だって、たいがいの大人は大人気ない、と思うのさ。


10月7日(日)

椿の実器用なだけじゃだめかしら

ダメじゃないけど、のちのちツケが回ってきそうだなぁ、
と、器用貧乏のぼくは悩んでいます。
(若いうちはいいけれど)
不器用にも見えるほど
コツコツとひとつのことに取り組んできた人たちには、
やはり敵わないぞ〜。
最近とみに思うのでございます。

つばきのみ きようなだけじゃ だめかしら
季語=椿の実

ものすごく誤解を受ける言い方かもしれませんが、
日々の労働と努力とは、どうやら違うものらしいです。

※椿の実の中には3〜5個の大きな種子あります。
その種子からとれるのが椿油。食用、頭髪用、灯用、機械油用と用途が広いそうです。


10月6日(土)

星草や前世来世も今世なり

理解できないものに名前を与え、
差別化するという行為はある種の尊敬を得られるし、
上手くすれば儲かる商売へと発展させることもできそうです。
でも、何かが違う気がします。
「何が?」と問われても、
明確に言葉に出来るほどの知恵を持ち合わせておりませんので、
あしからず。

ほしくさや ぜんせらいせも こんせなり
季語=星草

※星草は田んぼや湿地に自生する一年草です。茎の高さは5〜15センチほど。
湿原一面に広がる、直径4ミリほどの丸くて白い頭花(とうか)は、まるで天の川のように見えるそうです。



10月5日(金)

苦きもの飲み込むならば秋の水

やる気というものは、
やりはじめなければ湧いてきません。
本当です。
やりはじめても、いつまでたっても気分が乗らないのであれば、
それは単に向いていないだけかもしれません。
(少しくらいは我慢も必要だとは思いますが・・・)

にがきもの のみこむならば あきのみず
季語=秋の水

我慢と辛抱だけが人生なんって、自慢になりません。


10月4日(木)

問題を山積みにして古生姜

「ゆうこう的」か「こうあつ的」かは、
その人の損得勘定によるところが大きいのだとか。
「ゆうこう的」な人は、
そうであるが故に得をした経験が沢山あるから友好的なんだって。
「こうあつ的」な人は、不思議だけど、
それでいて何らかの利を得てきたからこそ高圧的、なんだとさ。

もんだいを やまづみにして ひねしょうが
季語=生姜

※生姜は一般的には秋に収穫されます。
7月頃に獲るものを新生姜、根生姜を干したものを古生姜といいます。



10月3日(水)

蝿の秋真実ついぞ闇の中

どうでもいい話ですが、
ぼくらの世代を「ジェネレーションX」と呼ぶそうです。
それに続く今の20代を中心とする世代を「ジェネレーションY」といいます。
それぞれに特長があるそうで、
言われてみれば、なるほど、といった感じです。
が、やっぱり、どうでもいい話かもしれません。

はえのあき しんじつついぞ やみのなか
季語=秋の蝿

「統計」は参考にしたとしても、盲信していいものではありませんよ。

※もともとはアメリカで言われ始めたことです。
ジェネレーションXは1960〜1974年生まれ。ジェネレーションYはそれ以降の生まれ。
詳しい内容に興味のある方は、それぞれに検索すればすぐにわかると思いますよ。



10月2日(火)

鵺育む無患子の実のつらさかな

知ってます?
最近、「暴走老人」という言葉が流行っているそうですよ。
若者よりもキレやすい老人という意味なんですって。
もともとは若者目線からの造語なのでしょうが、
この間まで「今の若者は我慢が足りない!」と言っていた戦前・戦中の世代が?
と考えると、ちょっと悲しいかも。

ぬえはぐくむ むくろじのみの つらさかな
季語=無患子

※無患子の実の種は、羽根突きの羽根の黒い玉に使用されるそうです。
また果皮は石けんの代用になるのだとか。悪臭があって食用はしません。
※鵺は、頭は猿、手足は虎、体は狸、尾は蛇、声はトラツグミという
ヘンテコな伝説上の生き物です。いわゆる怪獣。ギャーア。

10月1日(月)

きれい事ばかりが並び馬肥ゆる

300年前、松尾さんが言いました。
「謂ひおほせて何かある」
― 見たそのままを俳句にしてもしょうがないじゃない? 
俳句はさ、人の想像力を喚起するものだよ。
ときに示唆を与え、ときに幸せな気分にできたら最高でしょう!
それ以外にどんな目的があるんだい? ―

きれいごと ばかりがならび うまこゆる
季語=馬肥ゆる

そんな意味の言葉だとしたら素敵だなぁと、ときどき自分勝手に夢想しています。
もちろん写生という俳句手法も大切にしているつもりです。

※「謂(い)ひおほせて何かある」とは、
松尾芭蕉が弟子の去来を一喝した言葉として「去来抄」に記録されています。
つまり、俳句は17文字では言い尽くせないその余白にこそ本質がある、
ということらしいです。むずかしいことは分かりません。

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