ホトトギス  

第十二巻第一号/明治41年10月(=1908年10月)号
一冊(一部): 弐拾銭

「雑詠」巻頭句 高浜虚子 選

俳号: 水巴  所在地: ――

花鳥の魂遊ぶ絵師の午寝かな    
長者許山伏共の午寝かな    
草山を又一人越す日傘かな    
雨に逢ひし衣壁にあり蚊遣焚く    
出船送り入船待て水を打つ    
葛水や顔セ青き加茂の人    
夜濯ぎの心やすさよ飛ぶ蛍    
山百合に雹を降らすは天狗かな    
手習の子の親々の案山子かな    
女の子交りて淋し椎拾ふ    
旅笠にあわただしさよ椎落つる    
山越えて海の日がある芒かな    

俳誌一覧(発刊順)

ホトトギス ( 高浜虚子/明治41年10月 )
層雲 ( 荻原井泉水/明治44年7月 )
雲母 ( 飯田蛇笏/大正6年12月 )
馬酔木 ( 水原秋櫻子/昭和3年7月 )
かつらぎ ( 阿波野青畝/昭和4年1月 )
玉藻 ( 星野立子/昭年5年6月 )
花衣 ( 杉田久女/昭和7年3月 )
寒雷 ( 加藤楸邨/昭年15年10月 )
風花 ( 中村汀女/昭和22年5月 )
芹 ( 高野素十/昭和32年5月 )

よむヒント

選者の高浜虚子は明治31年に「ホトトギス」を継承し、自らが心血を注いだ「雑詠」を通じて多くの俳句の天才を見出し育ててきました。現在活躍する俳人の師系をたどるならば、大げさでなく、その大多数が虚子にたどり着くのではないでしょうか。
「ホトトギス」に雑詠欄が登場するのは創刊から11年目、明治41年10月号からです。「選句も又創作なり」と、虚子は考えていました。
虚子の主な代表句
遠山に日の当たりたる枯野かな
流れゆく大根の葉の葉さかな
白牡丹といふといへども紅ほのか
春風や闘志いだきて丘に立つ
去年今年貫く棒の如きもの

そんな虚子により選び出されたホトトギス初の(つまりは日本初であるかもしれない)巻頭句第一号が、渡辺水巴(わたなべ・すいは)の作品でした。

水巴は、蛇笏・鬼城・普羅に並ぶ、当時のホトトギスの実力俳人でした。のちに俳誌「曲水」を創刊し主宰となります。
うすめても花の匂ひの葛湯かな
は、水巴晩年の名句といわれています。

※花鳥の魂=(はなとりのたま)と読むそうです。
※許(がり)=〔接尾語〕~のもとに。
※蚊遣(かやり)=【夏の季語】当時は蚊の嫌う生木の葉などを焚いて蚊を追い払ったそうです。特に農作業で用いました。
※葛水(くずみず)=【夏の季語】くず粉と砂糖をとかした涼しげな飲物
※顔セ(かんばせ)

引用: 「創刊百年記念 ホトトギス巻頭句集」 ホトトギス主宰  稲畑汀子監修/小学館(1995年)

矢印

【 高浜虚子に学ぶ、名人の視点!】

まずは作ること。お勉強は二の次三の次。

虚子はその著書『俳句への道』の中で、理論や理屈よりもまずは(ひとの評価など気にせず)思いつくままに形にしてみることだと言っています。
「感情の雨にうるおい涯(はて)なき林に遊ぶような心持がある。私はこの方を採る。」 これが歴史に残る多くの逸材を育て、小説家・夏目漱石をも世に送り出した大立者、虚子の視点です。

あらためて上記巻頭句を味わってみる

「創刊号の俳句」の参考書籍、おすすめの書籍

※上記巻頭句に関しては、該当資料からの引用として収集・掲載させていただいています。
※旧漢字については、インターネットの特性上、また初心にも読みやすいよう考慮し、常用漢字に変更している場合があります。
※「ゝ」や「ゞ」などの踊り字については、横書き表示ということもあり、読みやすさを優先するため、適切な平仮名に変更させていただいています。