ホトトギス
第十二巻第一号/明治41年10月(=1908年10月)号一冊(一部): 弐拾銭
「雑詠」巻頭句 高浜虚子 選
俳号: 水巴 所在地: ――
選者の高浜虚子は明治31年に「ホトトギス」を継承し、自らが心血を注いだ「雑詠」を通じて多くの俳句の天才を見出し育ててきました。現在活躍する俳人の師系をたどるならば、大げさでなく、その大多数が虚子にたどり着くのではないでしょうか。「ホトトギス」に雑詠欄が登場するのは創刊から11年目、明治41年10月号からです。「選句も又創作なり」と、虚子は考えていました。虚子の主な代表句遠山に日の当たりたる枯野かな流れゆく大根の葉の葉さかな白牡丹といふといへども紅ほのか春風や闘志いだきて丘に立つ去年今年貫く棒の如きものそんな虚子により選び出されたホトトギス初の(つまりは日本初であるかもしれない)巻頭句第一号が、渡辺水巴(わたなべ・すいは)の作品でした。水巴は、蛇笏・鬼城・普羅に並ぶ、当時のホトトギスの実力俳人でした。のちに俳誌「曲水」を創刊し主宰となります。うすめても花の匂ひの葛湯かなは、水巴晩年の名句といわれています。※花鳥の魂=(はなとりのたま)と読むそうです。※許(がり)=〔接尾語〕~のもとに。※蚊遣(かやり)=【夏の季語】当時は蚊の嫌う生木の葉などを焚いて蚊を追い払ったそうです。特に農作業で用いました。※葛水(くずみず)=【夏の季語】くず粉と砂糖をとかした涼しげな飲物※顔セ(かんばせ)
引用: 「創刊百年記念 ホトトギス巻頭句集」 ホトトギス主宰 稲畑汀子監修/小学館(1995年)
虚子はその著書『俳句への道』の中で、理論や理屈よりもまずは(ひとの評価など気にせず)思いつくままに形にしてみることだと言っています。「感情の雨にうるおい涯(はて)なき林に遊ぶような心持がある。私はこの方を採る。」 これが歴史に残る多くの逸材を育て、小説家・夏目漱石をも世に送り出した大立者、虚子の視点です。
※上記巻頭句に関しては、該当資料からの引用として収集・掲載させていただいています。※旧漢字については、インターネットの特性上、また初心にも読みやすいよう考慮し、常用漢字に変更している場合があります。 ※「ゝ」や「ゞ」などの踊り字については、横書き表示ということもあり、読みやすさを優先するため、適切な平仮名に変更させていただいています。