芹 せり
第壱巻 創刊号/昭和32年5月(=1957年5月)号一冊(一部): 八十円
「雑詠」巻頭句 高野素十 選
俳号: 高月ポプラ 所在地: 鳴門
選者の高野素十は秋櫻子らとともに大正~昭和初期のホトトギスを盛り上げた高名な俳人です。いわゆるホトトギス4Sのひとりです。しかし他のように斬新で魅力的な理論を展開することはありませんでした。むしろ虚子の説く客観写生句の最高のつくり手であり、一番の信奉者であったといいます。ゆえに純粋な客観写生句が少なくなっていく時流を危惧して、(たぶん我慢できず)、自身の俳誌を立ち上げたのでした。素十の主な代表句空をゆく一とかたまりの花吹雪方丈の大庇より春の蝶 (大庇=おおひさし)づかづかと来て踊子にささやけるセリは春の七草で、セリ・ナズナ‥‥と、第一番目に上げられます。その香気が素材の生臭さを消すとして、古くから賞美されてきました。「俳句の道は ただ これ 写生。」を信条とする、素十らしいネーミングではないでしょうか。そんな俳誌「芹」創刊号の巻頭句を飾ったのが、高月ポプラの5句です。素十はこの巻頭句について、純粋な客観写生句として存在価値のある「心の澄んだ句である」と評しています。早春の海女の生活の一場面であり、それにまつわる小さな人間ドラマだ。※石蓴(あおさ)=【春の季語】海岸の岩につく海藻。味噌汁などにして食します。※海苔(のり)=【春の季語】※口開け=(磯の口開【春の季語】)海女が潜れる解禁日のこと。いつでも自由に潜れるというわけではないようです。口開け日に初獲りしたものを神に供える地域もあるとか。※磯代=アオサや海苔をとるための場代のようなものらしい。
引用: 「芹」第壱巻 創刊号/芹発行所(昭和32年5月)
小さなものと大きなものとを見たままに対比させ、その向こう側を暗示させるかのような素十の俳句。素材の本質を見極めることが出来てはじめて、成功する手法なのでしょう。対象を見ようとする意志と見つかるまで見続けるという忍耐、その両方が大切なようです。
※上記巻頭句に関しては、該当資料からの引用として収集・掲載させていただいています。※旧漢字については、インターネットの特性上、また初心にも読みやすいよう考慮し、常用漢字に変更している場合があります。 ※「ゝ」や「ゞ」などの踊り字については、横書き表示ということもあり、読みやすさを優先するため、適切な平仮名に変更させていただいています。