玉藻 たまも
創刊号/昭年5年6月(=1930年6月)号一冊(一部): 四十一銭
「一人一句」巻頭句 星野立子 選
俳号: 松本きぬ女 所在地: 名古屋
俳誌「玉藻」について特筆すべきは、主宰である星野立子が自ら進んで立ち上げたものではなく、父・高浜虚子が才能豊かな娘・立子の修練の場として、ひとつの俳誌を与えたということでしょうか。そんな特異な背景もあり、「玉藻」の雑詠(一人一句)は立子と虚子の共選というカタチを取っています。女郎花少しはなれて男郎花父がつけしわが名立子や月を仰ぐ囀をこぼさじと抱く大樹かな美しき緑走れり夏料理※女郎花(おみなえし)、男郎花(おとこえし)、囀(さえずり) 立子の俳句はどれもわかりやすく、見たまま感じたままを優しい言葉で表現しているのが特長です。ゆえに、深読みしようと思えば、いくらでも深読みできる。それも立子の句の大きな特長かもしれません。そこに正解などありません。ただ、ひとつだけはっきりと言えることがあります。立子は丁寧にむずかしい言葉や言い回しを避けていた、ということ。彼女の句を読むたびに、その芸の細かさに驚かされます。そんな立子が選んだ創刊号の巻頭句が上記の「花の雨袖をいだいて走りけり」です。突然の雨に着物の袖を抱えるようにして、小走りに軒下にでも飛び込んだのでしょうか。今や時代劇でしか見ることのない風景ですが、ドラマのはじまりを予感させるワンシーンです。日常のささいなことも俳句となる、虚子の唱えた「有季定型」の好例でしょうか。<巻頭句の季語について>花の雨=【春の季語】桜に降る雨、もしくは桜の咲く頃に降る雨。【星野立子(ほしの・たつこ)】明治36年(1903)~昭和59年(1984)。東京生まれ。高浜虚子の次女。虚子は立子のことを「平凡の価値を解している」と称えていたという。中村汀女、橋本多佳子、三橋鷹女とともにホトトギスの「四T」と呼ばれ、父・虚子の後ろ盾のもと女流をけん引した。結婚した翌年、23歳から虚子の勧めで作句をはじめる。27歳のときに長女を出産、その4か月後に女性で初めての主宰誌「玉藻」を創刊した。
引用: 「玉藻」創刊号/玉藻社(昭和5年6月)
立子の句に詩を感じるのは、その視点の面白さはもちろん、何よりも父・虚子が定めた俳句の約束事(有季定型)を純粋に守り通したことにあるのだと思います。心情をも定型におさめようと努めた(無邪気とも思える)立子の意志が、季語と心を重ねるような作風を生んだのかもしれません。
※上記巻頭句に関しては、該当資料からの引用として収集・掲載させていただいています。※旧漢字については、インターネットの特性上、また初心にも読みやすいよう考慮し、常用漢字に変更している場合があります。 ※「ゝ」や「ゞ」などの踊り字については、横書き表示ということもあり、読みやすさを優先するため、適切な平仮名に変更させていただいています。