玉藻  たまも

創刊号/昭年5年6月(=1930年6月)号
一冊(一部): 四十一銭

「一人一句」巻頭句 星野立子 選

俳号: 松本きぬ女  所在地: 名古屋

花の雨袖をいだいて走りけり    

俳誌一覧(発刊順)

ホトトギス ( 高浜虚子/明治41年10月 )
層雲 ( 荻原井泉水/明治44年7月 )
雲母 ( 飯田蛇笏/大正6年12月 )
馬酔木 ( 水原秋櫻子/昭和3年7月 )
かつらぎ ( 阿波野青畝/昭和4年1月 )
玉藻 ( 星野立子/昭年5年6月 )
花衣 ( 杉田久女/昭和7年3月 )
寒雷 ( 加藤楸邨/昭年15年10月 )
風花 ( 中村汀女/昭和22年5月 )
芹 ( 高野素十/昭和32年5月 )

よむヒント

俳誌「玉藻」について特筆すべきは、
主宰である星野立子が自ら進んで立ち上げたものではなく、
父・高浜虚子が才能豊かな娘・立子の修練の場として、
ひとつの俳誌を与えたということでしょうか。
そんな特異な背景もあり、「玉藻」の雑詠(一人一句)は
立子と虚子の共選というカタチを取っています。

女郎花少しはなれて男郎花
父がつけしわが名立子や月を仰ぐ
囀をこぼさじと抱く大樹かな
美しき緑走れり夏料理

※女郎花(おみなえし)、男郎花(おとこえし)、囀(さえずり)

立子の俳句はどれもわかりやすく、
見たまま感じたままを優しい言葉で表現しているのが特長です。
ゆえに、深読みしようと思えば、いくらでも深読みできる。
それも立子の句の大きな特長かもしれません。
そこに正解などありません。
ただ、ひとつだけはっきりと言えることがあります。
立子は丁寧にむずかしい言葉や言い回しを避けていた、ということ。
彼女の句を読むたびに、その芸の細かさに驚かされます。

そんな立子が選んだ創刊号の巻頭句が
上記の「花の雨袖をいだいて走りけり」です。
突然の雨に着物の袖を抱えるようにして、
小走りに軒下にでも飛び込んだのでしょうか。
今や時代劇でしか見ることのない風景ですが、
ドラマのはじまりを予感させるワンシーンです。
日常のささいなことも俳句となる、
虚子の唱えた「有季定型」の好例でしょうか。

<巻頭句の季語について>
花の雨=【春の季語】桜に降る雨、もしくは桜の咲く頃に降る雨。


【星野立子(ほしの・たつこ)】
明治36年(1903)~昭和59年(1984)。東京生まれ。
高浜虚子の次女。虚子は立子のことを「平凡の価値を解している」と称えていたという。中村汀女、橋本多佳子、三橋鷹女とともにホトトギスの「四T」と呼ばれ、父・虚子の後ろ盾のもと女流をけん引した。結婚した翌年、23歳から虚子の勧めで作句をはじめる。27歳のときに長女を出産、その4か月後に女性で初めての主宰誌「玉藻」を創刊した。

引用: 「玉藻」創刊号/玉藻社(昭和5年6月)

矢印

【 星野立子に学ぶ、名人の視点!】

季語と心を重ねるということ。

立子の句に詩を感じるのは、その視点の面白さはもちろん、何よりも父・虚子が定めた俳句の約束事(有季定型)を純粋に守り通したことにあるのだと思います。心情をも定型におさめようと努めた(無邪気とも思える)立子の意志が、季語と心を重ねるような作風を生んだのかもしれません。

あらためて上記巻頭句を味わってみる

「創刊号の俳句」の参考書籍、おすすめの書籍

※上記巻頭句に関しては、該当資料からの引用として収集・掲載させていただいています。
※旧漢字については、インターネットの特性上、また初心にも読みやすいよう考慮し、常用漢字に変更している場合があります。
※「ゝ」や「ゞ」などの踊り字については、横書き表示ということもあり、読みやすさを優先するため、適切な平仮名に変更させていただいています。