かつらぎ
第一巻第一号/昭和4年1月(=1929/1/1)号一冊(一部): 十五銭
「一月集」巻頭句 阿波野青畝 選
俳号: 由良竹園 所在地: 丹波
選者の阿波野青畝はホトトギスの4S(秋櫻子、誓子、素十、青畝)の中にあって、もっとも特異な存在かもしれません。青畝は奈良の人で、耳を患い若いときから耳が遠かったそうです。そのためか寺や仏を題材にした秀句を多く残しています。代表句と言われる葛城の山懐に寝釈迦かな (かつらぎの やまふところに ねしゃかかな)なつかしの濁世の雨や涅槃像 (なつかしの じょくせのあめや ねはんぞう)などの格調高い句から山又山山桜又山桜 (やままたやま やまざくらまた やまざくら) 絢爛と咲き誇る吉野の山桜を「山」と「桜」だけで見事にたたえています。こんなトリッキーで美しい風景句もあれば、念力もぬけて水洟たらしけり (水洟=みずばな)と、関西人らしいユーモラスな句までじつに自由自在です。当時の「かつらぎ」には、雑詠(=かつらぎは当月集と呼びます)以外の読みものがありません。しかも、其一、其二、其三と三様の選抜をもって、ベテランから初心者まで同じ土俵で競うガチのトーナメント戦を行っています。其二が他誌の「雑詠」に相当し、其一は「其二の中につきこんでをくには惜しい気のする秀逸の句」として選び出した各人の一句を掲載しています。其三は、惜しくも其一、其二に入選しなかったもの一句。さらには一つも掲載されない投句者もいるという厳しさです。一般的に雑詠巻頭句を選ぶ基準は五句なら五句のトータルな完成度です。しかし、俳句の秘密は17文字の中にこそあります。一句入魂。青畝はそんな一句を汲み取りたかったのかもしれません。「一月集 其一」は募集句すべてから厳選された一句です。これが当時の“巻頭句至上主義(?)”に対する青畝なりの答えでした。やや寒や足で起せし上草履 由良竹園(丹波)鰯雲でてゐる濱の日和かな 橋本杉也(伊勢)隣よりいろいろの木の落葉かな 岩本貞子(和歌山)コスモスの一つは高く咲きにけり 河野蔦女(大和)砧の灯ちろちろ見ゆる家路かな 笠原藍村(大阪)わざをぎの墓賑かに詣でけり 慕情(山城)寝おくれの鹿にあひたる良夜かな 森島泉人(大和)そして「一月集 其二」は従来の巻頭句に値します。古賀漏月(八幡)水口に溺れ鼠や秋の雨籾干して人けはひなき戸毎かな朝顔の上に煤降る巷かな朝戸出や稲刈鎌を選り選りて両者を比べてみて、あなたはどんな印象を持っただろうか?※上草履(うわぞうり)=うわばきとして使う草履。※砧(きぬた)=【秋の季語】麻・こうぞ・くずなどで織った布を柔らかくするためには小槌でたたく必要があるそうです。キヌタはそのために用いる艶出しの水や石台のこと。ここではそれを打つ行為を言っています。※わざをぎ(わざおぎ)=面白おかしく舞い踊り、神や人々の心を和ませること。またはそれを演じる人。※朝戸出(あさとで)=朝、戸を開けて、外出すること。(もともとは、ひと頃流行ったKY(空気読めない)みたいな略語だったのかしら?)※選り選り(えりえり)=選りすぐること。【 阿波野青畝 】明治32年(1899年)奈良県生まれ。大正6年(1917年)より高浜虚子に師事。故郷奈良の美しい風景や歴史を題材にした。平成4年(1992年)没。
引用: 「かつらぎ」第一巻第一号/葛城発行所(昭和4年1月)
青畝のもっとも巧みなところは、「情景」の描写ではなく「気分」を描写しているところなのではないでしょうか。俄かに真似のできることではありません。ただ、それは「捨てる」、「削る」という俳句の基本の上に成り立っていることは間違いありません。まずは、視点をひとつに絞り込むこと、欲張らないこと、でしょうか。
※上記巻頭句に関しては、該当資料からの引用として収集・掲載させていただいています。※旧漢字については、インターネットの特性上、また初心にも読みやすいよう考慮し、常用漢字に変更している場合があります。 ※「ゝ」や「ゞ」などの踊り字については、横書き表示ということもあり、読みやすさを優先するため、適切な平仮名に変更させていただいています。