風花  ふうか

創刊号 第一巻第一号/昭和22年5月(=1947年5月)号
一冊(一部): 本号特売十八円 送料別

「風花集」巻頭句 中村汀女 選

俳号: 渡邊幸子  所在地: ――

公園の人なきベンチ春の雲    
白雲に輝き揺るる花こぶし    
たづね来し今日あたたかや木瓜も咲き    
畦道をひとり歩めばげんげ咲く    

俳誌一覧(発刊順)

ホトトギス ( 高浜虚子/明治41年10月 )
層雲 ( 荻原井泉水/明治44年7月 )
雲母 ( 飯田蛇笏/大正6年12月 )
馬酔木 ( 水原秋櫻子/昭和3年7月 )
かつらぎ ( 阿波野青畝/昭和4年1月 )
玉藻 ( 星野立子/昭年5年6月 )
花衣 ( 杉田久女/昭和7年3月 )
寒雷 ( 加藤楸邨/昭年15年10月 )
風花 ( 中村汀女/昭和22年5月 )
芹 ( 高野素十/昭和32年5月 )

よむヒント

中村汀女には子どものを題材にした句が多い。
咳の子のなぞなぞあそびきりもなや
あはれ子の夜寒の床の引けば寄る
とくに汀女の俳句を語るときに外せないのが、この2つです。
それまでの男性優位の俳句界には存在しないものでした。
女性の俳句など所詮は台所俳句、
鑑賞するに値しないとまで言われていた時代のことです。
そんな中にあって、汀女は主婦としての日常を日常として詠む
という姿勢に徹していたかのようでした。
周囲の目を気にするならば、同調するか、対抗するか。
臆せず貫くというのはかなり気丈なひとだったのかもしれませんね。

その他の代表作
とどまればあたりにふゆる蜻蛉かな  ※蜻蛉(あきつ)
外にも出よ触るるばかりに春の月  ※外(と)、触(ふ)るる
ゆで玉子むけばかがやく花曇
目をとぢて秋の夜汽車はすれちがふ
蜩や暗しと思ふ厨ごと
  ※蜩(ひぐらし)、厨(くりや)

「『風花集』はずいぶん厳選」であると、その編集後記にあります。
かなりの自信家でもあったのでしょう。
そんな汀女の選んだ創刊号の巻頭句が、上記の4句でした。
むずかしところの一つもない、印象鮮明な句です。
この作者もまた、汀女と同じく、裕福な家庭の主婦だったのでしょうか。
(裕福だから幸福、とは言えない。そこは今も昔も変わらない)
全体に一人でいるときの解放感を楽しんでいる、
そんな印象を受けるのですが、いかがでしょうか。

<巻頭句の季語について>
辛夷(こぶし)
【春の季語】モクレンに似た白い花。高さ10メートルほどの高木で、
葉に先駆けて咲く白い花が印象的です。
木瓜(ぼけ)の花
【春の季語】梅に似た五弁の花がかたまって咲きます。真っ赤な花が代表的。
枝に棘があります。
紫雲英(げんげ)
【春の季語】ゲンゲはかつて田の緑肥として栽培されました。
見渡す限りの紫の花、当時の春の常だったようです。

【中村汀女(なかむら・ていじょ)】
明治33(1900)~昭和63(1988)年/熊本市画図町生まれ。
父が村長を務める旧家の一人娘。夫は大蔵官僚。
掃除中にふと浮かんだ句が入選、賞賛されたことをきっかけに18歳から作句する。はじめ杉田久女に師事するが高浜虚子の門下となり、のちに星野立子、三橋鷹女、橋本多佳子とともにホトトギスの四Tと呼ばれた。「風花」を創刊主宰。新聞・テレビなどを通じて女性俳句の普及に努めた。

引用: 「風花」第一巻第一号/風花書房(昭和22年5月)

矢印

【 中村汀女に学ぶ、名人の視点!】

今はじめて気づいたかのように、その行動を詠む。

汀女は、家庭の主婦という「視点」を俳句に調和させた先駆者です。それまでも久女をはじめ多くの優れた女流俳人は存在しましたが、どこか男性に対抗するような片意地なところがありました。つまらないと思える日常茶飯事の中に、その人らしい題材(=行動)が隠れている、そういうことなのではないでしょうか。

あらためて上記巻頭句を味わってみる

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※上記巻頭句に関しては、該当資料からの引用として収集・掲載させていただいています。
※旧漢字については、インターネットの特性上、また初心にも読みやすいよう考慮し、常用漢字に変更している場合があります。
※「ゝ」や「ゞ」などの踊り字については、横書き表示ということもあり、読みやすさを優先するため、適切な平仮名に変更させていただいています。